貫汪館

無雙神傳英信流抜刀兵法・大石神影流剣術・澁川一流柔術を伝える貫汪館のサイトです。


1. 貫汪館の古武道

 貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術の三流派の古武道を稽古しています。

 江戸時代においては異なった複数の種目の流派の稽古は普通に行われていました。それぞれの流派に共通する原理を体得すれば複数の流派を稽古することは困難な事ではありません。

  無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術の詳細については流派紹介からそれぞれのページをご覧ください。

 


2. 稽古の指針

 貫汪館では決して力任せの無理な稽古はしません。稽古は個人のもつ隠れた能力を引き出すためのものだと考えるからです。次に述べる三つが貫汪館の稽古の指針です。

  1. 無理・無駄が無い心と体のあり方を求めること
  2. 師や兄弟子の教えに素直であること
  3. 自分自身で工夫探求し、稽古を継続すること

 

1. 無理・無駄が無い心と体のあり方を求めること

 貫汪館では無理無駄が無い動きを尊びますので重い木刀で素振りを行い筋力をつけたり、強靭な体を作るための筋力トレーニングを行ったりすることはありません。稽古を始める前から強い筋力がある方は、最小の力で稽古をする工夫をしなければなりません。自分には力があるという思いが業を身につけ上達する邪魔をしてしまいます。筋力が弱い女性の業の上達が速やかな理由はここにあります。

2. 師や兄弟子の教えに素直であること
 師や兄弟子の指導を受けて、その指導を素直に吸収する方は速やかに上達します。反対に自分がこれまで得てきた経験や知識によって自分の都合の良いように指導されたことを解釈してしまえば道から遠ざかってしまいます。素直であることは上達のために欠かすことができません。

3. 稽古を継続し、自分自身で工夫探求すること
 上達とは形の手順を覚え見栄えよく演武できることではなく、その形の原理を身につけ自由に動けるようになることです。したがって自分自身で技が自分のものとなるまで工夫探求することなしに上達はありません。外見上は上達していないように見えても工夫探求している方は時が至れば急速に上達します。工夫探求は継続することによって真の体得に至ります。継続は上達への近道です。


3. 子供たちへの指導

 貫汪館では稽古を通じて子供たちが「礼」の心を身につけるよう指導しています。古武道における「礼」は形式的なものではなく、相手の立場を尊重し人と人との調和のある関係を尊ぶ心から生まれるものです。「礼」がなければ調和はなくなり、有形無形の争いに至りますが、争いに至らないために稽古するのが貫汪館の古武道です。
 具体的には礼法や呼吸法などを学び、ついで形稽古を通じてさまざまな状況の下での相手との適切な間、対人関係を学びます。
 貫汪館では道場に子供たちを受け入れています。また共に稽古される親子を歓迎致しております。




4. 貫汪館館長について

森本邦生

 貫汪館館長 森本邦生は昭和34年(1959)広島に生まれました。昭和47年より白石元一の門人であった森務に現代剣道とともに居合を学び、同時に陸上自衛官であった父に銃剣道を学びます。

 昭和50年には梅本三男貫正に入門、無雙神傳英信流抜刀兵法を学び始めます。

 中学生の頃より武道史研究を志し、筑波大学在学中に中林信二助教授に卒業論文の指導を受け「北条流兵学の思想的研究」をまとめました。また筑波大学在学中には居合道同好会の指導をおこないました。

 大学卒業後は幹部自衛官として航空自衛隊に奉職。ペトリオット導入のためアメリカ陸軍防空学校に1年間留学しました。航空自衛隊勤務の傍ら稽古と武道史研究を続けましたが、無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正の希望と、澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭との師弟関係となる約定を果たすために航空自衛隊を退職し稽古に専念し武道史研究を行います。

 平成7年、梅本三男貫正の命によって貫汪館を開設し無雙神傳英信流の指導を開始します。この時すでに畝重實嗣昭から澁川一流柔術の免許皆傳上極意を得て師範代として師の道場で指導しており、貫汪館においても澁川一流柔術の教授を始めました。

 その後、武道史研究の縁により大石神影流剣術第6代宗家大石英一に入門。平成22年に免許皆伝を授かり大石神影流剣術の指導を開始し、現在に至っています。

 

武歴・資格等

無雙神傳英信流抜刀兵法 免許皆傳

澁川一流柔術 免許皆傳上極意

大石神影流剣術 免許皆傳

銃剣道 教士7段

短剣道 教士7段

 

役職

日本武道学会中四国支部会理事

日本古武道振興会常任理事

 


日本武道学会での発表履歴

 

発表年度  演 題

平成11年 ・大塚観音堂における奉納額等について −難波一甫流を中心として−

平成12年 ・難波一甫流の研究(1) −広島市安佐南区沼田町 宇高家文書を中心として−

平成13年 ・広島藩の貫心流に関する研究 −その伝系と伝書について−

平成14年 ・難波一甫流の研究(2) −広島県佐伯郡佐伯町城における難波一捕流について−

平成15年 ・難波一甫流の研究(3) −広島市東区中山 萬休寺 恵忍を中心に−

平成16年 ・広島藩伝渋川流についての一考察 −広島市安佐北区安佐町岡本家文書を中心として−

平成17年 ・真貫流柔術成立についての考察・・・伝書から

平成18年 ・津和野藩槍術家 原田康人の『英名録』について

平成19年 ・大石神影流『諸国門人姓名録』について

平成20年 ・大嶋流槍術師範 加藤善右衛門 『旅弟子姓名録』についての考察

平成21年 ・樋口真吉 第一回廻国修行日記について―大石神影流の土佐への伝播―

平成22年 ・高槻藩士藤井又一の槍術修行について―柳河藩伝大嶋流槍術の高槻藩への伝播―

平成23年 ・土佐藩大石神影流 樋口真吉の廻国修行について―嘉永5年の廻国修行を中心として―

     ・土佐藩 武市半平太の廻国修行について

平成24年 ・練兵館 齋藤弥九郎の野試合について

     ・廣島藩 自得剣道 村山次郎一の英名録について

平成25年 ・剣術及び槍術における試合技術の発展過程についての考察―天保7年の『他流試合口並問對』の分析―

     ・鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について

平成26年 ・加藤田平八郎の廻国修行について ―文政12年の日記を中心に―

     ・土佐藩 片岡健吉の稽古記録について―安政5年の『文武修行日記』を中心に―

平成27年 ・嘉永4年の藤堂邸における剣術試合の様相について

     ・長州藩来嶋又兵衛の大石神影流剣術修行について―天保 15 年の『要用日記』を中心として―

平成28年 ・『教授館總宰餘業記録』にみる土佐藩の居合について

     ・大石神影流の門人分布について

平成29年 ・日本における銃剣道の起源について

     ・長州藩 渡部直八の廻国修行について

平成30年 ・小城藩 大石神影流師範 江副七兵衛の剣家姓名録について

     ・土佐藩 片岡健吉の稽古記録について(2) ―安政6年の『武藝控』を中心に―

令和元年 ・天保10年および11年の江戸における大石進種次の動向について

     ・広島藩三次における新影流についてー原田家文書を中心にー

令和2年 ・高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について

     ・飫肥藩津田一伝流師範矢野宗吾の英名録について 

令和3年 ・天保3年の大石進種次の動向について

     ・土佐藩樋口真吉の『諸兵家尊名鈔四』について

令和4年 ・土佐藩 片岡健吉の稽古記録について 

     ・蓮池藩心形刀流師範富永清大夫について― 心形刀流と大石神影流とのかかわり ー

令和5年 ・島村右馬丞の日記に見る幕末土佐藩の居合について 

     ・柳河藩新陰流 田中健之助の英名録について

 


講演等

 

平成19年・安芸髙田市歴史民俗博物館公開講座「宍戸司箭の武術ー司箭流の長刀と貫心流の剣術

平成24年・沼田歴史散歩の会「難波一甫流と宇高家について」

平成25年・平成24年度城下町広島の歴史講座十講 第八講「広島藩の武術」

    ・広島城二の丸夜話「広島藩の武道」

    ・筑波大学比較文化学類 独創的な教育プログラム「古武道」

平成26年・戸山公民館ふるさと歴史講演会「宇高宗助と難波一甫流について」

    ・日本武道学会第57回大会「公開演武 澁川一流柔術」

平成28年・佐賀県小城市桜城館「大石神影流と小城」

    ・広島城「日本刀と武道~居合・剣術の魅力」

平成29年・浅野氏入城400年記念事業平成29年度 歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩」「広島藩の武術」

平成30年・小城藩の古武道「幕末における小城藩の武術」

令和   3年・柳川市史連絡会「大石神影流とは何であったのか」

令和   4年・大牟田市民文化のつどい「剣豪大石進と大石神影流剣術」