貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術の三流派の古武道を稽古しています。
江戸時代においては異なった複数の種目の流派の稽古は普通に行われていました。それぞれの流派に共通する原理を体得すれば複数の流派を稽古することは困難な事ではありません。
無雙神傳英信流抜刀兵法・澁川一流柔術・大石神影流剣術の詳細については流派紹介からそれぞれのページをご覧ください。
貫汪館では決して力任せの無理な稽古はしません。稽古は個人のもつ隠れた能力を引き出すためのものだと考えるからです。次に述べる三つが貫汪館の稽古の指針です。
1. 無理・無駄が無い心と体のあり方を求めること
貫汪館では無理無駄が無い動きを尊びますので重い木刀で素振りを行い筋力をつけたり、強靭な体を作るための筋力トレーニングを行ったりすることはありません。稽古を始める前から強い筋力がある方は、最小の力で稽古をする工夫をしなければなりません。自分には力があるという思いが業を身につけ上達する邪魔をしてしまいます。筋力が弱い女性の業の上達が速やかな理由はここにあります。
2. 師や兄弟子の教えに素直であること
師や兄弟子の指導を受けて、その指導を素直に吸収する方は速やかに上達します。反対に自分がこれまで得てきた経験や知識によって自分の都合の良いように指導されたことを解釈してしまえば道から遠ざかってしまいます。素直であることは上達のために欠かすことができません。
3. 稽古を継続し、自分自身で工夫探求すること
上達とは形の手順を覚え見栄えよく演武できることではなく、その形の原理を身につけ自由に動けるようになることです。したがって自分自身で技が自分のものとなるまで工夫探求することなしに上達はありません。外見上は上達していないように見えても工夫探求している方は時が至れば急速に上達します。工夫探求は継続することによって真の体得に至ります。継続は上達への近道です。
貫汪館では稽古を通じて子供たちが「礼」の心を身につけるよう指導しています。古武道における「礼」は形式的なものではなく、相手の立場を尊重し人と人との調和のある関係を尊ぶ心から生まれるものです。「礼」がなければ調和はなくなり、有形無形の争いに至りますが、争いに至らないために稽古するのが貫汪館の古武道です。
具体的には礼法や呼吸法などを学び、ついで形稽古を通じてさまざまな状況の下での相手との適切な間、対人関係を学びます。
貫汪館では道場に子供たちを受け入れています。また共に稽古される親子を歓迎致しております。
森本邦生
貫汪館館長 森本邦生は昭和34年(1959)広島に生まれました。昭和47年より白石元一の門人であった森務に現代剣道とともに居合を学び、同時に陸上自衛官であった父に銃剣道を学びます。
昭和50年には梅本三男貫正に入門、無雙神傳英信流抜刀兵法を学び始めます。
中学生の頃より武道史研究を志し、筑波大学在学中に中林信二助教授に卒業論文の指導を受け「北条流兵学の思想的研究」をまとめました。また筑波大学在学中には居合道同好会の指導をおこないました。
大学卒業後は幹部自衛官として航空自衛隊に奉職。ペトリオット導入のためアメリカ陸軍防空学校に1年間留学しました。航空自衛隊勤務の傍ら稽古と武道史研究を続けましたが、無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正の希望と、澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭との師弟関係となる約定を果たすために航空自衛隊を退職し稽古に専念し武道史研究を行います。
平成7年、梅本三男貫正の命によって貫汪館を開設し無雙神傳英信流の指導を開始します。この時すでに畝重實嗣昭から澁川一流柔術の免許皆傳上極意を得て師範代として師の道場で指導しており、貫汪館においても澁川一流柔術の教授を始めました。
その後、武道史研究の縁により大石神影流剣術第6代宗家大石英一に入門。平成22年に免許皆伝を授かり大石神影流剣術の指導を開始し、現在に至っています。
武歴・資格等
無雙神傳英信流抜刀兵法 免許皆傳
澁川一流柔術 免許皆傳上極意
大石神影流剣術 免許皆傳
銃剣道 教士7段
短剣道 教士7段
役職
日本古武道振興会常任理事
広島県銃剣道連盟理事